「察する日本語」と「はっきり英語」
「察する日本語」と「はっきり英語」
ハワイでの通訳現場から見える文化のギャップ
ハワイで通訳をしていると、
日本語とハワイ英語の相性って、他の地域と比べるとやりやすい方だなと感じます。
ローカル文化としてアジア的な空気の読み合いが根付いていたり、
ハワイ独特の温かくてゆったりしたコミュニケーションがあったりするからかもしれません。
でも、やっぱり英語と日本語の根本的な違い、
とくに「察してほしい」日本語と「口に出してなんぼ」の英語のギャップは、
ハワイでも通訳の現場でよく感じるところです。
値下げをお願いしたい。を察してよ、の日本語。
例えばビジネスの現場。
日本側の担当者は値下げを希望しているのに、なかなかそれを言葉にしないことがあります。
「最近コストも上がってきていまして…」
「お客様満足度も考えると、なかなか値上げもしにくくて…」
そうした状況説明だけが続き、
肝心の“値段の見直しできませんかね?”の一言は出てこない。
向こうが察して言ってくれるのを待って、説明が続く
一方、アメリカ側はというと、
ストレートに「Please lower the price」とまでは言わなくても、
“Would it be possible to revisit the pricing terms?”
“Is there any way we can make this work?”
のように、要望を言語化してきます。
何をどうしてほしいのか、具体的に伝える文化があるなと思います。
この「察して」と「言って」の間に、通訳として立つとき、
ただ言葉を訳すだけじゃ、それぞれの思惑がうまく伝わらない時があります。
医療の現場でも見える「伝え方」のズレ
このギャップは医療の通訳でもよく見られます。
ハワイの病院では、患者さんが日本語、医療スタッフは英語という状況がよくあります。
たとえば、
「最近ちょっと調子が悪くて…」
「お腹のあたりがなんとなく…」
そうおっしゃる患者さんに、英語側の医療スタッフは
「で、どうしてほしいの?」と待ってる。
でも、日本語話者の側は向こう側から、診断と処置の提案があるまで
延々と状況を説明しないとわからないのかな、と思って同じことを繰り返す。
すると結局、「困ってるんですね」で終わってしまって、
何の処置もされずに診察が終わってしまうこともあるんです。
患者さんは「冷たいな」と思い、医療者側は「何を求めていたのかわからなかった」となる。
通訳として、その「間」に立つということ
こういうとき、通訳の役割って本当に大きいなと思います。
単に言葉を訳すだけじゃなくて、文化ごと翻訳するような気持ちで立っています。
「この方は、直接言っていないけれど、こういうニュアンスのことをおっしゃっています」
「この質問には、“こうしてほしい”という意味が含まれているかもしれません」
そんな風に、“察し”と“明言”のあいだを橋渡しするのが、
ハワイで通訳をする上でとても大切な感覚だなと日々感じています。
ハワイだからこそ必要な「気づき」
ハワイは、多文化が共存するやさしい土地です。
だからこそ、あいまいさを受け入れる力もある反面、
公的な場面では“明確に伝えること”が求められる文化も根強くあります。
日本語話者の皆さんには「いやそこは言おうよ!」と心の中で突っ込み、
英語話者には「いや、ちょっとは察してあげて?」と密かに突っ込む。
そのあいだで、何ごともなかったように訳している私ですが、
本当は内心、両方につっこみっぱなしのこともあります。
とはいえ、通訳はあくまで黒子。
ツッコミどころのない通訳を目指して今日も「察して」、「はっきり」訳します。
