通訳がいらない時
通訳がいらない時も、あるんです。
これまでこのブログでは、
「通訳をつけると、こんなに便利!」「選択肢が広がりますよ!」と、
いろんな場面での通訳活用をおすすめしてきました。
……が。
実は、通訳が“いないほうがいい時”もあるなあと、最近よく思うのです。
正確さよりも、“通じ合うこと”が大切な時
たとえば、初めてのご挨拶のとき。
まだ関係ができていない相手と、ゆっくり距離をはかりながら話していく場面。
この時、通訳が間に入ってポンポン話を回してしまうと、
本当は時間をかけて生まれるはずの“空気”が作れなくなることがあります。
相手の名前を何度も呼んだり、笑顔を交わしたり。
意味は完璧にわからなくても、
「この人と、なんとなく気が合いそうだな」って思える瞬間ってありますよね。
そういう時、私は少し下がって、見守る側に回ることが多いです。
ビジネスの現場でも、意外とよくあるんです
商談のあと、ふとしたおしゃべりの時間。
好きな食べ物の話とか、「ハワイのどこに泊まってるんですか?」とか。
こういう時に、通訳が一言一句を訳すと、
“会話”というより“情報のやりとり”になってしまうことがあるんです。
だから私は、相手がわかりそうな単語やジェスチャーを使いながら、 自分たちで頑張って話そうとしてる姿を、そっと見守ります。
そうやって言葉を探して、笑ったり、間違えたり、
それを通して関係がぐっと近づいていくのを何度も見てきました。
通訳は「全部やる人」じゃなくて、「余白をつくる人」
通訳って、全部を訳す人だと思われがちだけど、
ほんとうは“言葉の余白”を大切にする仕事でもあると思っています。
何を訳すか、何を訳さないか。
どこで入るか、どこで黙るか。
そこに、その場の“温度”があるんです。
最後に:言葉がすべてじゃないと、通訳は知っている
通訳って、「なんでもかんでも訳す人」じゃないんです。
ほんとは、「訳さない選択ができる人」なんです。
100%訳すことが目的じゃなくて、
通訳がいなくなっても関係が続く状態に持っていくことが、たぶん、120点の仕事。
だから時々、「あ、ここはもう私はいらないな」って思ったら、
そっと一歩下がって、空気の中にまぎれていくのが、ちょうどいい。
お茶でも飲んで、そっと見守る時間も、通訳のしごとのうちなんです。
